丸投げみのあるSNS

twitterはログアウトしてとりあえずいまは見ていない。ブックマークバーからも外されてる。
見るとずーっと見てしまうし判断疲れでモリッと意志力が持ってかれるので。見えなくする、というのは単純なようでかなり有効な誘惑を断つ方法なんだとか。
最初に話したSNSでの身体性の限界というのは、要は判断するのめっちゃだるいよね、ということである。自分で発言する内容を選別して、他人が発言する内容を選別して…と。
人は自分の顔も脳も1つであることを知ってるのに、交わされる話題は食事に音楽に漫画に…相手も自分も何人もいるみたいだ。ひとつにすればいいのに、と思わなくもない。PCがひとつならOSはひとつ。いっそアプリもひとつだけのほうがスマートなのではないか。
うーん…でも複数のことをこなせないと生き物として生き残れなさそうだし、いくつものことをこなせればこなせるほど生存確率も上がりそうな気がする。PCもアプリは複数使えるわけだしなあ。
 
自分は自分の興味のある話はいつくもしたいけど、他人には一種類の話しかして欲しくないのかも。自分に興味のある範囲ならギリ許容できるか?どうだろう。コミュニケーションは本来不快なものだ、と山形浩生は言っていた。
 
判断をするという行為は意志力をモリモリ削られるので現代人でなくとも人は避けたがるし避けるべきである。自分がしたい事、するべき事を即実行できる環境に身を置くべきである。
 
判断は丸投げされるべきである。
必要なもの以外。それこそひとつふたつを除いて。
 
真に待たれるのはそういう丸投げみあふるるSNSで、観測してるとそういう方向に向かってるのでは、と思えてくる。ではあるのだけれども、twitterは判断み溢れまくるSNSよね…とまあそんな感じですね。スルースキルを付けましょうということで。
ではなぜそれでも見てしまうかと言うと社会性とか射幸性とか…これはここでは別の話。
 
 
mastodonRSSで取るのはやめて結局フォローした。スルー前提ならいいかなと。SNSが生まれたてが一番面白いなら、そのいい時期を観測できたんじゃないかな。friendsでのぬるぽTL面白しゅうございました。pawooでの脱糞読み上げTL面白しゅうございました。とはいえ中毒にはなっていないという程度。
せっかくちょっとtwitterからも離れているので、SNS離れの習慣を付けるいい機会かもしれないな、と思っている。
mastodonも流行るにしても2、3年かかるだろうと中の人が言っていた。そのぐらいかも。自分の周りのひとたちだとpawooがいいかしら。けれどこれからどういう環境になるかは、わからない。居心地が良くなるかも。ならないかも。
 
mastodonが非中央集権的サービスで、これがすべての人が利用するような、丸投げ性SNSのはしりであるなら、流行してほしい。丸投げ性さえあれば別にmastodonである必要はないし、数年数十年経ったとき、異なるSNS同士で繋がれればいい。
ただ…その性格上twitterよりは拘束力は無いだろうし、連絡手段としては弱くないかという気がする。使ってるサービス内で、お互いがそれなりのアクティブユーザーという前提があると連絡しやすい。twitterはメールよりある部分はよかった。DMを投げればより早くて確実で手軽だった。
lineはその辺に特化してるのか。イヤー使ってないんですよね、実は。なんだかなーって。登場した当時からあまりいい印象がない。ソーリーline好きの皆様。
mastodonを含めるが)丸投げ性SNSに組み込めて、さりとて分離してメール窓口として機能するみたいなのはできないだろうか。フォローもせず、そのユーザーのアカウントまで行ってDM送ります、なんてこともせずに。
これはtwitterのDM欄でgmail送受信とか、gmailのタブのひとつにtwitterのTLが流れてるというような話だ。
一緒にする必要はないのでは?それぞれ独立したアプリとして使用すべきでは?とも思うが、確実に連絡つくか、判断みが増えないかということにやっぱりなりはしないか。他人に一種類の話しかして欲しくないなら、アプリもひとつがいいのでは。そう、メールでの連絡も最近はいい印象がない。形式が面倒で効率が下がるという話はよく聞かれることと思う。異なるものがシームレスになるとよい。iOSの設計だとどうなのかとか。こうなってくるとひとの眼や手の操作性の話になる。SNSについての話だったのになんだか拡がってしまった。
 
表示する情報の剪定が求められる。つまり丸投げ性の問題にやっぱりなると思うのだ。